退職しました

知り合い向けのエントリなので、「で、誰?*1」という方は、お手数ですがタブをそっ閉じでお願いしますm(__)m。退職エントリ、書いてみたかったんです。

1月末をもって退職し、2月よりリブセンスという会社でお世話になることになりました。

ここからながーい、自分語りが入るので、以下はお時間あれば読んでくださいw。

前職について

所属企業名はググればすぐにわかりますが、ここではあえて大きめのSIerとしておきます。

2003年に新卒で入社したので丸10年以上勤めていたことになります。
何年だか忘れましたが、人間の場合、神経細胞など一部を除いて一桁年数で多くの細胞は入れ替わると聞いています。「ってことは、俺の体はほとんど前職のお給金でできあがってる訳だなぁ」という、「まずは感謝」みたいな妙な感覚があります。

新卒以来、ずっと技術支援部隊所属で、現場では支援という形でプロジェクトに参画することがほとんどでした。一時期総合技術研究所などにも所属してましたが、支援の割合が減っただけで同じようなもんでした。
業界やお客様に付いている訳ではないので、金融や流通、製造、エネルギーなどいろんな業界を見ることができたのが、私にとっては面白かったです。ただし、長くても2年ほどしか留まらなかったので、浅いところしか見れないわけですが、ただただ受託だSIだと言っても、それを指す内容は人それぞれ違いが大きく、あるのはただただその現場のみってのは感じるところでした。

愚痴や不満はたくさんありましたが、主張さえすればいろんな経験をさせてもらえると言う点でとてもよい会社だったと思います。他のSIer勤務の人と会話してみると、お堅いお仕事が多い割に、割と自由にさせてもらえてえるし、稼働率を平準化しないといけない業種の割に人事上の配慮もされてる方だったと思います。嫌な上司には会ったことがないですし(これは運もあるだろうけど)。
ポツポツと強力な個性と技術力をもった人が社内にはいるのですが、そういうところがあったからだと思います。そこが強みでもあり、弱みでもある会社なんですが。

アジャイルとかRubyとかエンタープライズとか

比較的自由に出来ると言っても無理がある事をやってきたというのが正直なところです。

エンプラとかSIとかって、上で書いたようにその人の経験や、やってる領域が背景にあって語り出すみたいなところがあるので、そういった人たちにただ説明するという段階(説得とか関係なしに)からしてなかなか難しかったです。技術的なところだとJavaをおもちゃって言い出す人とかUNIXをおもちゃって言い出す人がいると思ったら、反対にJava以外はおもちゃって言う人も当然いて、それが同じ社内で共存しています。(自然に言い出す人はそれなりに面白いからいいんですけど、戦略的に言う人は面倒くさい。まぁこれはいい。)

それなりに大きな会社だったので、やってる仕事はものすごい多種多様なのに、「少ない種類の技術ややり方に統一していって、人の交換性を高めて稼働率の平準化と開発効率化」みたいな流れがあります。なんか、なんかだなーという気分でした。
そうすることでプロジェクトの数をこなして売り上げをあげる。多分どこでもそうでしょうし、受託開発のビジネスモデル下では正しいと思います。そういった慣習が生み出すゆがみが社会や顧客にとってどうかという批判は多くありますが、依頼してお金を払う人が数兆円規模で存在する市場である限り、なにかのあるべき論だけで語る以上の意義があるとは思いますし、実際のところ生活のいろんな場面でその成果のお世話になっています。生活のいろんな場面でお世話になってる。これ大事。

が、ちょっと極端すぎる気がしていて、エンプラ市場での何かの価値を提供するというのは、何もSIによる受託やパッケージだけではなくて、SaaSやその前のASPやSFDCみたいなPaaSの流行を見るまでもなく、技術がコモディティ化してるなかでやり方も多様化していると思いますし、多様化しないと社会に貢献できなくなってきたというのはもう当たり前になっていると思います。
卑近な例だと、利用しないといけない大企業のサービスのWebページだけはなんかイケてない社内ページみたいだし、融通もきかないけど、大資本がやらざるを得ないサービスだから代替が無いという体験って時々あると思いますが、そういうのも含めていろいろみんなで損しているとか。一方で実は資本はそう要らんかったんや的にそれらを突き崩すアイディアがどんどん出てきている。いいサービス出すクラスタとイケてないサービス出すクラスタが分断されるきらいがある。もちろんビジネスモデルのせいだけにするにはいかないけど、状況がディフェンシブな開発を誘発し、その結果がイケてないというからくりはあると思います。
そういうのって、ただSIerイケてないとかいつまでもしょうもないページ使わされるとかエクセルだ(とばっちり?)とかdisるだけじゃつまんないというか、disるならその素敵な理想論でdisの対象から仕事をとればいいじゃないとは思っています(出来てたかは別だけどorz)。まぁ幸か不幸かdisの対象になりがちな場所に自分がいるので、ちょっと変えられるか試してみようかと思えば出来るわけです。だから面白いところもあったし、それを上回るくらいのしんどいことも沢山ありました。

なんやかんやで、なんかそういうの言い出していきなりプロダクション出せるレベルのチームを作るのは無理なので、数年かけてというのは最初から考えてることでした。流石に会社を変えようとか社会を変えようとは思ってなかったですが、自分の仕事の範囲くらいは変えたいと思ってやってきて、それなりに出来たかなと感じています。ここ1年くらいは何も宣伝してないところから問い合わせが来るなどしてきて、周辺事情も変わってきたのかなぁと思います。対外的にはRubyWorld Conference 2012*2とか大江戸Ruby会議03*3で発表してきたような思いでやってて、発表自体もできたのがいい思い出です。

ともかくも、上司その上の人や一緒にやってくれた同僚や後輩のおかげでやってこれました。なんだかんだで難しい状況だと認識してる人は多く、理解してくれる人がたくさんいてほんとうれしかったです。ご迷惑ばかりだった気もします。ただ感謝です。

これから

RWC・大江戸Ruby会議とかで発表したようなタクシーもやってて楽しかったですし、違うアイディアでなんとかしてやろう、みたいなことを最初からやってる人たちと仕事をしてみたいと思って転職をきめました。次の会社のメッセージの「あたりまえを、発明しよう」というのがどんなことかは入ってみないとわからないかもしれませんが、賛同できることでもありました。

これからはもっと、なんかイケてないサービスなりを作っちゃう人たちとなんかわかってる人たちってのが分かれてくると思います。エンプラでやってる人やってない人という区切りは意味あるのかな、その辺はわからないです。これまで「オープン化の流れ」とかそういったわかりやすい「流れ」が今までいろいろありましたけど、だんだん流れの幅が狭いバズワードになってきてる気がしてて、こうなるともう割と塹壕戦で、わかってる人みたいになるには地道に学び続ける必要がある。
「それって基幹系でも同じ考えなの」みたいな返しがある業界にいましたが、どうなんでしょうかね(基幹系って何ってのはあるけど)。数年は変わんないでしょうけど、十数年後はどうなんでしょうかね代替は無いとは思いますが、何かに溶け込んでいくのではとは思います。なにかわかんないですけどw。

要するに

とりとめなく書きましたが、これからもがんばります。よろしくお願いいたします。