「東北地方・太平洋沖地震」に遭った日の記録

今日地震が起こった。忘れないうちに体験したこと、感じたことをだらだらと書いておく。たいした経験ではないけれども。

今回の非常に強い地震について、気象庁地震の規模を示すマグニチュードは8・8と発表しました。これは、国内の観測史上、最大の地震だということです。気象庁はこの地震を、「東北地方・太平洋沖地震」と名付けました。

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4671212.html


14:50頃、職場のビル13階の狭い会議室で会議中に地震発生。

最初は縦揺れ。しかし、いつもの縦揺れより少しでかい。これはちょっとヤバイかなと思ってたら、大きな横揺れと一緒に緊急地震速報が流れる。「あ!本物や!」と、思ったら同じコトを考えたみなが机の下に隠れはじめる。
でも、会議室の扉を誰も開けてくれないので、扉近くの人に「開けて下さい!」と依頼して、開けて貰う。でもただ開けるだけなので揺れでスグに扉が閉まる。揺れの中フラフラと歩いて扉を押さえに行く。
会議室はフロアの中にある。フロアの扉を見ると、これもまだ誰も開けてない。これはまずいと思い大声で近くの人に「開けて下さい」と依頼。しばらく、震えながら扉を押さえ地震が終わるのを待つ。
揺れている間、机が吹っ飛んだり、ホワイトボードがジャンプしたりはしてなかったので東京は震源地ではなく、まぁ普通にしてれば死んだり怪我したりはしないなと判断。さらに、大阪市内で経験した阪神大震災の時と同じか少し小さい揺れに感じた。阪神大震災大阪市内だったのでたいした被害は経験してないし、あの大阪市内くらいの揺れだったら都市は壊れないことは分かっている。今回も同じくらいの揺れだったので、やっぱりヒドイ被害は被らないだろうと予測。
震源地はひどいだろうなと思ったけど、少なくとも自分に関しては地震後についてあまり悲観的にはならなかった。

あとで自分の行動について考えてみると、もし震源地でシャレにならない揺れ中だったら、無理に重い扉開けると怪我するかもと思った。しかし、フロアから出られなくなるのは嫌だしこういう場合どうすれば?

揺れが収まったところで、隣のビル(2X階建て)や高層マンションを見に窓際に行く。高層ビルやマンションが豆腐のような弾力でフラフラ揺れているのが肉眼で分かる。揺らして耐震してるのがよく分かったけど、ちょっとショックだった。

地震後のざわつきが終わって少し落ち着いたので、会議の続きをする。しかし、皆心ここにあらず。っていうかもう帰りたい気持ち。無理矢理会議を締める。
自分のデスクは23階。予想通りエレベータは停止している。13階から23階まで10階分階段登って草臥れる。
自分はずぼらなので、机の上に本や書類が山積み。崩れてるかなーと思ったら崩れてない。おお。隣の後輩に「これ大丈夫だったの?流石俺の免震構造」とか冗談言ったら「めっちゃ崩れましたよ。直したんですよ」と言われる。ちょっと反省。

23階からお台場方面見ると煙が上がっている。千葉方面では火が見える。あとで分かったけど、石油コンビナートが燃えていたらしい。

その後、ガラケーが大活躍でワンセグでニュース見て大惨事の話題ばかりする。仕事にならない。早く帰りたいけど、「今外に出ると危険だからやめとけ」的社内アナウンス。

しばらくしたら「帰れる者は責任者に伝えて連れだって歩いて帰って良いよ」となる。帰って良いよとなったところで、さっきの会議のアクション事項や議事録が送られてきて「ご確認下さい」とある。うーん、今?ご確認する気まったくにならない。なので、「受け取りました。まずはご連絡まで。」という曖昧な返事をしてPCを閉じる。続きは来週月曜日じゃ。

同じ会社の嫁さんと徒歩で帰る。1時間。結構くたびれる。

帰途、歩道は同じく徒歩で帰ろうとするサラリーマンだらけ。道路も渋滞している。津波が来るとかで水門が閉められている。

途中、千葉方面への道路は渋谷のように人だらけだった。みな辛そう。家に着く頃には日も落ちて寒い。なんとかしてあげたいと思ったけど、どうにも出来ず。
帰って料理する気にもなれず、でもコンビニ弁当を帰宅できる者が買うのも気が引けて、ラーメン屋で晩飯をとる。ラーメン屋は大繁盛。

で、帰宅。予想通り本棚崩壊。でも被害としてはそんなもんなので安心。

その後、ずっとNHKを見続ける。東北地方のひどい被害に心が痛む。

そして今に至る。23:55